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 私が、ヨウちゃんのこと好きなのを、ヨウちゃんは、たぶん知ってる。知ってて、たぶん、何も言わない。
 そういうことに気づいたのが、春の、すこし、手前のことだった。


 私は、ヨウちゃんより、すこし先に生まれた。ヨウちゃんは、すこしあとに生まれた。二週間くらいしか違わないけれど、私は三月生まれで、ヨウちゃんが四月だから、ヨウちゃんのほうが、一個下の学年になる。
 だから私は、いつも、お姉さんぶっていた。それは、ほんとにそう思ってたときもあるし、そうでないときもある。時々、ヨウちゃんのほうが、賢く思えるときもある(ちょっとだけくやしい)。
 私がヨウちゃんと知り合ったのは、幼稚園のころだった。あの頃のヨウちゃんは、泣き虫だった。その頃の話をすると、ヨウちゃんは恥ずかしがる。誰だって最初はみんな泣き虫なんだから、どうってことないのにな、と私は思う。
 その頃、私は女の子で、ヨウちゃんは男の子だったので、私はよく、ヨウちゃんのお嫁になる、と豪語していた。今でも気持ちは変わらない。今も、ヨウちゃんのお嫁になりたいと思う。


 男の子だった、というのは、何かの喩えだとかじゃない。ヨウちゃんは、今はもう、男の子ではない。おととし、病になって、女の子になった。夏休みの何週間も前から学校にこなくなったので不思議に思っていたら、そういうことらしかった。
「これからも仲良くしてあげてね」
 二学期が始まる少し前、登校日に、保健室で、ヨウちゃんのお母さんに言われた。
 あたりまえじゃん、まかせなさい、と、はじめは思ったけど、保健室の回転いすには、みしらぬ女の子が、男の子みたい格好で座っていたから、すぐに自信がなくなった。
 しかし私はめげなかった。なぜなら私はヨウちゃんのことが好きだからだ。私は、なるだけヨウちゃんのそばにいた。ヨウちゃんも、私のそばにいた。私のそばにいると、ヨウちゃんは、安心するらしかった。そんなだから、私は調子に乗って、ばかみたいに世話を焼いた。
「お姉ちゃん、みたいだね」
 いつだったか、ヨウちゃんは言った
「じっさい、そんなもんだよ」
 私がそう返すと、ヨウちゃんは笑った。
 私はたのしかった。私はヨウちゃんが好きなので、ヨウちゃんをほとんど一人占めにできて、心が浮足立った。私はたしかに、舞い上がっていた。


 ヨウちゃんは可愛らしくなった。女の子になった。ついこの間まで、ヨウちゃんの女の子風、だったのが、女の子のヨウちゃん風、になっていた。
 私はそれを、気にしなかった。げんみつにいうならば、気にしないふりを、していた。
 今、私とヨウちゃんは、来るべき春の、少し手前にいる。今日は卒業式で、私とヨウちゃんは、一緒に帰っているのだった。
「ヨウちゃんとはなればなれなの、寂しいよ」
「大げさだなあ」
 泣きまねする私を見ながら、ヨウちゃんは笑った。女の子になってから、ヨウちゃんはよく笑うようになった。たのしそうだね、と私が言うと、よく、たのしいよ、とヨウちゃんは答えた。
 うらやましいな、と、私は思う。人の気も知らないで、と。ヨウちゃんからしたら、もしかしたら、迷惑な感情なのかもしれないけれど、でも仕方ないでしょう、と。
 帰り道は、桜がほんのすこし咲いている。五分咲きの少し前だ。
「お花見って」
 ヨウちゃんが言った。
「お花見って、なんで、みんな、やるのかな。大人になったら、楽しいのかな」
「わかんないけど、そうなんじゃない」
「そっか」
 ヨウちゃんが、とおくを見てる。
 ずっととおく。
 春の手前でとおくを見てるヨウちゃんの横顔は、なんだか絵画みたいで、私は息が止まりそうになった。私よりもずっとまっすぐの、長い髪の毛が、そよ風にのってゆらゆら、遊泳している。
 絵画なんかにならないでよ、と、私は叫びそうになった。ねえ、ヨウちゃん、絵画になんかならないで。額縁の外になんか、行かないでよ。
「どうしたの?」
 ヨウちゃんに声をかけられて、はっとした。
「なんでもないよ」
「へんなの」
 私のほうを向いて、ヨウちゃんが笑う。胸の奥がじりじりする。不安な気持ちだった。私は、今確かに、怖いと思ってる。
 ヨウちゃんが、変わっていくのが、怖いわけじゃない。ヨウちゃんが変わっていくのを、眺めていられないのが、たぶん、私は、怖いのだ。
 学校が別々になるのは、なにも今回が初めてじゃない。あたりまえだけど、中学に上がるのも、私が先だった。でもそのときヨウちゃんはまだ男の子で、まるっきりちがうヨウちゃんになるなんて、思いっこなかった。
 でも今のヨウちゃんは女の子で、たった一年と半分で、まるっきりちがう、ヨウちゃんで、だから、少し会わない時間が増えるだけで、ヨウちゃんは、私の知ってるヨウちゃんじゃなくなるのだ。
 私の知らないうちに、私の知らないヨウちゃんになってしまうのは、怖い。とても。たぶん、耐えられない。
 わがままなのだと思う。今の私は、とても、わがままだ。でも、ヨウちゃんには、そうあってほしいのだ。男の子のから地続きのままの、私の知ってる、ヨウちゃんのままで。


 去年の夏、ヨウちゃんと夏祭りに行った。私は、おかあさんに頼んで、ヨウちゃんとおそろいの、浴衣を着せてもらった。
 ヨウちゃんは、とても、恥ずかしがってた。
「いつもセーラー服なんかきてるんだから、今更そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
 そう私が言うと、
「そんなこと言ったって」
 と、ちぢこまりながら、ヨウちゃんは返した。
 近くの神社は、ふだんは全然人がいないのに、こうして屋台が出てるときは、ばかみたいに人がたくさんいた。私たちも、もちろん、そのばかのなかのふたりだった。私は、むりやりヨウちゃんと手をつないで、いっしょにばかになった。ばかみたいに高い焼き鳥をたべて、ばかみたいに邪魔になるヨーヨーを釣り上げて、ばかみたいに何もあたらないくじびきをした。
 最初のうちは、それどころじゃないと言わんばかりの表情だったヨウちゃんも、ヨーヨー釣りをするころには表情がほぐれて、私と一緒に、ばかみたいにはしゃいでいた。
 その時だった。
 その時、私は少し、さみしい、と思った。楽しいのに、そのはずなのに、さみしい。
 それがどういうことなのか、私は、なんとなくだけど、わかっている。けれどそれを、今もまだ、言葉にはしていない。したくない、と思っている。私はヨウちゃんが好きで、しかも、わがままだからだ。
 私は、ヨーヨー釣りをしながら、ヨウちゃんといっしょに笑った。私を、笑い飛ばした。


 ヨウちゃん、絶対、私の高校来てよね、と私は言った。
「急にどうしたの」
 ヨウちゃんは、目をまんまるさせていた。
「ヨウちゃん、私がいないと、だめだから」
「あはは」
 ヨウちゃんは笑った。それから、下着だってもう自分でつけられるよ、と言った。
 私は、なんとなく悔しい気持ちになった。その悔しさが、たくさんの意味を持っていることに、私は気づいている。でも、それがどんな言葉になるのか、私にはわからなかった。
「あ、そうだ。明日、お休みだし、どこかお買い物行こうよ。鞄とか、服とか、こないだみたいに教えてよ」
 ヨウちゃんは、相変わらずあっけらかんとしている。けれど頬がすこしあかくて、それで、気を使われているのが私だということに、気づいてしまった。
 私が、ヨウちゃんのこと好きなのを、ヨウちゃんは、たぶん知ってる。知ってて、たぶん、何も言わない。
 私は泣きたくなった。我慢して、でも我慢できなくて、結局、泣いてしまった。


 はじめてセーラー服を着た時のヨウちゃを、私はとてもよく覚えている。
 どちらを着ても構わない、と先生は言ったけど、へんに気を使われるのも嫌だから、と言って、ヨウちゃんは自分でセーラー服を選んだ。
 普段はおどおどしてるのにへんなところで思い切りがいいんだから、とヨウちゃんのお母さんは言っていた。
 そして私はヨウちゃんに、セーラー服を着せた。
 私は覚えている。
 耳まで真っ赤にしたヨウちゃんの表情を。
 私よりもずっと華奢な背中を。
 今までどおりのようで、ずっと前からそんなふうだった顔をして、ほんとはきっと、そんなはずのない、これからのヨウちゃん。
「けっこう、ややこしいんだね」
 「着付け」が終わってから、ヨウちゃんはあの日、真っ赤な顔で、うつむいて、そう言った。
「ほんとに大丈夫? 恥ずかしいなら、今のままでも」
「いい。これで、いいよ」
 垂れ下がった前髪の奥に、私はヨウちゃんのまなこをみた。そのまなざしは、私が今まで見たなにものよりもすきとおっていて、私は胸の奥がじんとした。
 そして私は、その、すきとおったまなざしの前で、今、はらはらと泣いている。


「どうしたの」
 困り顔で、ヨウちゃんは訊ねた。
「わかんない。けど、なんか、やだ」
「やだって、なにが」
「わかんない」
 そんな、と言いかけて、ヨウちゃんは心配そうに私を見ている。そしたら、だんだんその表情も崩れて、こんどはヨウちゃんも、はらはら、泣きだした。
「どうしたの」
「わかんないよお」
 訊ねる私に、ヨウちゃんも、結局そう答えた。
 私たちは、泣きながら、桜並木の中を歩いた。知らず知らずのうちに、私たちは手を握っていて、お互いに、相手の体温をいつくしむように、指を絡めていた。
 泣きながら、私は、私が、とてもばかばかしくなった。このまま、いろんなことを言ってしまおうかと思ったけれど、それも、なんだかうまく言えそうにない。
 私は私の気持ちが分からなくなった。いろんな気持ちが、一緒くたになって、混ざって、にごっている。
 たぶん、ヨウちゃんもそうだ。そのはずだけど、私達はそれを、ちゃんと信じることができない。私達はおさなくて、ちいさくて、だから、一秒よりもずっと手前の未来だって、夜闇のように真っ暗なのだ。


 赤ん坊みたいな泣き声だな、と私は思った。昼下がりの日差しが、涙を通してプリズムみたいにきらめいている。
 赤ん坊。そう、赤ん坊だ。私達はたぶん、まだ赤ん坊なのだ。
 だからきっと、明日になれば。それがだめなら、また次の、その次の、朝になれば。私は、きっと。
 その次の言葉は、まだ私の中にはなかった。だから私は、ヨウちゃんの手を、泣きながらより強く、そこにヨウちゃんがいることを確かめるみたいに、握った。
 小さくて柔らかいヨウちゃんの手は、春よりもずっとあたたかかった。

アイル/haruka nakamura

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