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あの夏のままで

  残暑なんて、口が裂けても言えないほどの茹だるような初秋の日の午後、キリオが久々にうちに遊びに来た。
  長期休暇も半分を折り返してなお全く手のついていなかった大量の課題。涼しくなってからやろうと昨晩ようやく取り掛かったものの、大して進まないままに寝落ちしてしまった事実から逃げ出すようにコンビニに向かった。
  アイスを一つ買った。食べながら家に帰る途中、もう少しで皮に仕懸るというところで熱に耐えきれず、アスファルトの上に落としてしまった。あっという間に赤と緑のシミに変わっていく、さっきまでスイカバーだったもの。せめてアリさんたちのご馳走になるよう祈りつつ家にたどり着いてベッドに倒れ込んだ。スマホに着信があったのはそんな時だった。
  不在着信があった旨を伝える画面にはキリオの名前。学校はおろかクラスも一緒の友人がしかし、直接電話をかけてくるのは久しぶりであり、なにかあったのだろうかと考え始めた矢先、インターホンが鳴った。
だらしなさすぎた格好を多少取り繕い、玄関の戸を開くと、ブカブカのTシャツと短パン姿少女が、これまた体躯に似合わない大きめのリュックを背負ったまま突っ立っていた。
  「三、四日、世話になります」
  荷物がパンパンに詰まっているであろうリュックを玄関口に下ろし、汗だくの少女―キリオはそういった。
  「聞きたいことが二つ三つあるんだけど」
  「一つずつどうぞ」
  玄関の段差に腰掛け靴紐を解く。邪魔そうだったのでリュックを受け取った。
  「何その格好」
  幼馴染であり友人であり級友であるヤイズ・キリオは男性である。陽炎の向こう、白ワンピに麦わら帽が似合う、こちらに微笑みかけてくるような美少女ではない、ある筈がない。
  「ナナ風邪引いたらこうなった。つーか逆によく気づいたな」
  ぶぇっくしょんと外見に似つかないくしゃみをする。汗だくなのは暑さのせいだけでもないのかもしれない。
  「初めて罹った人にあったわ」
  他に言えることもなく、そう呟くしかない。
  「それは俺もおんなじ」
  次の質問はとキリオが促してくる。
  ナナ風邪なら仕方ない。とりあえずキリオを居間に通す。付いているのがオンボロエアコンでも、玄関よりはマシだろう。
  「唐突にウチに来たのはなんでだい」
  二つ目の質問の返答は、キリオが麦茶を飲み干すまで待たなければならなかった。
  「友達ん家に泊まりに行くのが珍しいことかい?」
    「珍しいと即答できるくらい久々でしょ」
 小学校くらいまでは互いの家に泊まり込みで遊びに行くこともあったけれど、中学に入ってからはめっきり減っていた。その間も学校では普通に会ってはいたし、大きくなるってこういうことなんだろうという謎の納得もあった。
  「結論から言うと、これも全部我がカコお姉さまってやつの仕業なんだあんちくしょうめ」
  「返答になってないよ」
  大きめのグラスに注いだ麦茶をあっという間に飲み干してしまったキリオのためにボトルごと麦茶を用意する。この分なら、ぬるくなる前に空になってしまうだろう。
  「見ての通り俺は現在風邪気だ。夏休みで暇な俺らと違って、忙しい社会人の身だ。せっかくの有給を使ったのに病院に連れてってもらったとこまではいい、感謝してるさ」
  だってのに、とキリオ。
  「あんの馬鹿姉、医者に見てもらった大丈夫だろうし、せっかくの夏休みが勿体無いから出かけてくるつって、俺ほっぽって出てきやがったんだぜ」
  「今朝目が覚めたら置き書きだけあったんだよ。慌てて電話連絡はついたけど、こっちが抗議しても聞く耳を持たんのさ」
  多く見積もっても11、12歳程度にしか見えない少女が、少しだけ舌足らずの口調でこの場にいない人間の文句を口にしている。ギャップがすごい。
  「当分の生活費は置いてきたし、医者で風邪薬だって出てるから寝てりゃ治るでしょって」
  「カコさんらしいと言えばらしい」
  わたしのバカンスは何者にも邪魔できないのだと、浮き輪やビーチボールを抱えて砂浜を駆けていくそんな姿を想像して、思わず苦笑が浮かぶ。奔放な人なのは十分知っている。そんな人の弟をやっているのは大変だろう。
  「その後も文句言ってたら、突然思い出したように、ヨウんとこ泊めてもらえばいいじゃんって。腹が立つけど、姉貴にしては割合名案だとは思った。ヨウは基本家事全般なんでも人一倍出来るし」
  「キリオが人一倍出来ないだけでしょうに」
  進学したら絶対ひとり暮らしするんだと息巻いているのを時折目にするが、今のままの生活力では半月と保たないのではないかと踏んでいる。喧嘩はしたくないので黙っているけれど。
  麦茶のボトルが空になった。ごっつあんでしたとキリオ。
  「そんなだから、悪いけど非常事態ってことで今回は頼むわ」
  「まあ、かまわないけどさ」
  病人を無下に追い出すなんてこと、そうそう出来ない。なんなら、料理の一つや二つ仕込んで上げた方が良いかもしれない。
  「持つべきものは友よなあ。そう言ってくれるだろうと思って、お礼ってほどじゃないけど、課題まるっと持ってきた。どうせ放ったまま手つけて無いだろ?」
  持つべきものは友である。天国のスイカバーも草葉の陰で喜んでいるだろう。
  「恩に着ます、お嬢様」
  「よろしくってよ、ってやかましいわ」
  キリオは笑った。

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