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あの夏のままで

 「俺は俺だよ。どんな姿になろうと何をしようと姉貴じゃない、姉貴にはならないんだ」
  身勝手な告白を否定することはなく、しかし突き放すようにキリオはそう口にした。
  「ヨウだって分かってる筈だろ」
  まるで心を見透かされているようだ。
  そう、分かってしまった。私が無理矢理にキスをしてしまった相手は私の友人であり、決して初恋の人ではなかったのだということを。キリオが声を掛けた時に、それまで抱えていた熱も痛みも胸の高鳴りの何もかもが引いていった。そしてきっと、それは二度とこの身体に返ってくることはないものだろう。
  「目が覚めて、具合が悪いと思いながら洗面所で鏡を見て、ガキの頃の姉貴そっくりになってるって分かった時、最初は勿論驚いた。驚いたけど、これは最初で最後のチャンスだとも思った。ヨウと姉貴の間に起こったことをなんとなくじゃなくてちゃんと分かるためのさ」
  無言の時間を恐れるようにキリオが語りだした。彼もまた恐れていたのかもしれない。宙ぶらりんのまま、あの夜のことを確定できないままに過ごし、過ごしていくことが。
  「病院で診察を受けた後、姉貴は予定通り遊びに出かけてった。案の定だよ。病人を一人きりにするなって言ったら、じゃあヨウのとこ行けってさ」
  「肉体的に同性なら、間違いもなにも怒らないでしょって軽く言いやがったよ。自分の思いつきのせいで、誰かの人生を狂わせたかもしれないだなんて、微塵も思ってないに決まってる」
  むしろカコさんはあの夜のことなんて覚えていないのかもしれないと、ふとそう思った。
新しい悪戯を思いついたかのような彼女の目を思い出す。とんだ人間に惚れてしまったと他人事のように考える。
 「ヨウが抱きついてキスしてきてから―あの日起こったことがはっきりしてから、俺はどうするべきなのか悩んだ。医者の見立て通りなら、今日明日くらいには俺の身体はもとに戻るだろう。だったら一晩くらい、このままでいても悪くないというか仕方ないかなってそんなことも考えた」
  「だけど、やっぱり違うと思った。俺は本物の姉貴じゃないから。何年も悩み続けたヨウの前で、姉貴として振る舞うことは、裏切りだと思ったし」
  でも最後は、俺のエゴでしかなかったけどさ。そう呟くキリオの声は、今晩で一番頼りなく弱々しい。
  「好きでも何でもない馬鹿姉の代わりに抱かれるだなんて、そんなのは絶対に嫌だ。俺は俺として、ヨウに抱きしめられたい、抱きしめたい。そう思っちまった」
  だから、やっぱりごめん、ヨウ。
  小さな背中から聞こえてくるキリオの謝罪になんと返すべきか分からず、結局思ったままのことを口にしてしまう。
  「大胆だね」
  お前が言うなよと、キリオは力なく笑った。
  「言えた義理じゃないんだけど、一つだけお願いしていいかな」
  「勝手にキスするとかなじゃければ」
  それじゃあ厳しいかもしれないなと独りごちる。
  「眠れるまで、こうしていたい」
  一瞬の間が空く。
  「言ったじゃんか、俺は姉貴じゃないって」
  「分かってる」
  だったらと続けようとするキリオの口を、後ろから手で塞ぐ。
  「多分、カコさんはあの夜のことを覚えてないと思う。キリオの話を聞いててあらためてそう思った」
  だからきっと、想いを伝えてもきっと叶わない。届くかどうかもあやしい。
  「そして、正直に話してくれて嬉しかったけれど、やっぱりキリオは友達で、だからキリオの気持ちに答えることは出来ない」
  少なくとも今は。
  こっちだって何年越しの片思いだった、簡単に忘れることなど、諦めることなど出来ないだろう。
  「まあ、そうだろうな」
 知ってた知ってたと、絞り出すように口にしたキリオ。顔こそ見えないけど、落胆は伝わってくる。
  「でも、諦めきれないでしょ」
  でもそれはキリオもおんなじじゃないかなと思う。自惚れかもしれないけれど。
  「まあ、そうだろうな、うん」
  追い打ちを掛けるんじゃねえと、小声で呟いている。聞こえてる聞こえてる。
  「お互い未練がましい臆病者同士。だったら、今晩だけは、少しでもそばにいれたらって」
そんな日がいつか訪れるのか、分からないのだから。
  いいのかよ、とはキリオの疑問。
  「今晩にも俺が男に戻ったら、仕返しで寝ているヨウに襲いかかるかもしれないんだぞ」
  「かまわないよ、その時はその時ってことで」
 そうは言っても、きっとキリオは手を出さないだろう。友人として分かる。私と違って、彼はそういう人間だから。
  私の内心を知ってか知らずか、小さくため息をつくキリオ。同時に決心もつけたようだ。
  「まだ風邪ひきなんだし、あんま無理にひっつくなよ、移したら目覚めが悪いし」
  「ごめんね」
  「謝るな。お互い、そうしたいからこうするんだろ?」
  少し不貞腐れてる風なのは、照れ隠しだろうかと邪推をした。
  「おやすみ」
  今もなお、あの夏の夜のことを思い出すように、いつか、今日この夜のことを何度も思い出すような、そんな日がやってくるのだろうか。分からない。
  「ん、ぐんない」
  分からないから今は、ただキリオに抱きつき、逃げていった熱と痛みをもう一度追いかけよう。そう心に決めて、私は瞼を下ろした。

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