公民館なる建物はすぐに見つかった。田舎の民家はどれも比較的土地を広く持っていたが、そのかわりほとんどが木造の日本家屋だ。公民館も例に漏れず、木造の二階建てだった。村の名前と共に公民館と記された立て看板が趣深い。
それなりに広さがあるようで、談話室やキッチン、イベントスペースのほかに、屋内運動場や柔道場があるらしい。入り口の案内を見るに、柔術教室なんてものが開催されているようだ。
「年寄りがやったら死ぬんじゃないの?」
――(若い子がやってるんだと思うよ)
「いるの?」
――(センリ、いい加減にしなよ?)
談話室に入ってみると、ふたりの老人がソファに座って談笑していた。ここにも子供はいない。田舎の山村、やはりそもそも若い層が少ないのだろう。限界集落という言葉が脳裏をよぎる。
数年もすれば、この村はなくなってしまうのかもしれない。
「なんだ、外の子か! めずらしいなあ、こんな何もないところに。駅から来たのか?」
「大変だったろう。座んな座んな。スイカ食うか?」
いつの世も、老人は子供に親切な生き物だ。麦茶だけをありがたく頂戴して、千理は宿泊の許可を求めた。この建物はそもそも開放されていて、緊急時の避難所にもなっているらしい。毛布なども常備されている。いたれりつくせりだ。
「柔道場で寝たらいい。あそこなら鍵もかかるからな」
「ありがとうございます」
「若いモンには親切にしねえとなあ」
田舎の山村というと、排他的でよそ者に冷たいという偏見が千理にはあったが、しかしこれは完全な杞憂だった。会う人会う人、誰も彼もが優しい。
こんな村で事件が起こっているなどと、にわかには信じがたい。
「夜の村も見て回りたいんですけど……」
「いやあ……夜はだめだ、やめときな」
「そうだ、殺されっちまうぞ?」
信じがたいが、しかしそれは紛れもない事実なのだ。
「確か、八月になってからですよね、事件が起こったのって」
「そうだよ」
「違うよ」
ふたりの老人は同時にそう答えた。それから顔を見合わせて、
「そうだろうよ。八月の頭に雛倉んとこの息子が刺されたんだ」
「そりゃ八月はそうだよ。八月はそうだけどさ」
言い合う二人を前に、そっとメモを開いて確認する。確かに最初の被害者は八月のはずだ。雛倉――雛倉隆真。十六歳の少年だという。雛倉家に直接行きたいところだったが、さすがに無神経が過ぎるだろうとそれは諦める。
「鬼が――うろついてるって聞きましたけど」
「鬼! 鬼なんかじゃねえよ」
「馬鹿、ありゃ鬼の仕業だ。おそろしい鬼が帰ってきてんだよ」
帰ってくる――どういうことだろう。土地の伝承にまつわる何かだろうか。さすがは田舎の山村、実際に起こっている事件を、伝説になぞらえて考えているらしい。
「……どうしようか、レイ。レイ?」
――(……ああ、うん)
「さっきから静かだけど、どうしたの?」
――(いや、なんでもない。ちょっと具合が悪いだけ)
「具合って」
レイには肉体がない。当然体調不良もない。本当に調子が悪いのだとしたらそれは千理の肉体に問題があるか、レイの精神に問題があるかだ。
「なにか思い出したの?」
――(いや、わからない……)
千理はレイの声を耳で聞いているわけではないが、確かに声音がいささか沈んでいるように思えた。痛ましい事件の話を聞いて気持ちが落ち込んでいるのだろうか。
ともあれ、寝床は確保した。レイの状態も気になるが、必要なのは情報だ。
「ありがとうございます、それじゃひとまず――」
――村を見て回ります。だんだんと口論じみてきたふたりのやり取りにそう口を挟もうとして、
「――ふおわあっ!」
千理は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
メモ帳から顔をあげた目の前に、見知らぬ少年がいたからだ。
「おねえちゃん、外から来たってホント?」
大きな目をキラキラと輝かせて、少年はそう言った。上に見て中学生、下手をしたらまだティーン以前。田舎らしく野山を駆けまわって遊んでいるのか、あちこち汚れている。
――(……誰だこの子?)
「ねえ、おねえちゃん、外から来たの?」
「え、ああ、うん。そうだよ」
「すっげー!」
なにがすごいのかさっぱりわからなかったが、少年は興奮した様子で足をバタバタと動かしている。いつの間にか口論を止めた老人たちが、その様子を微笑ましそうに眺めていた。
「おれ、村の案内できるよ! ねえ、いいでしょ?」
どうも村の外の話を聞きたくてしょうがないようだ。一瞬だけ迷って、千理は同行を認めることにした。大人たちでは堅い口も、好奇心旺盛な子供ならばあっさり開くかもしれない。
もっとも、現時点で大人の口が堅いという印象はなかったが。
――(連れてくのか?)
「情報源だよ。問題ある?」
――(いや……)
不安があるとすれば先ほどから様子のおかしいレイのことだったが、ひとまず脇に置いておくことにする。今日中に可能な限りの情報を集めることは、レイにとっても意味があるはずだ。
「行こうよ! 行こう!」
袖を引く少年に従って、千理は立ち上がった。若さとはエネルギーの塊だ。おいていかれないように注意しなくてはいけない。
「それで、君の名前は?」
「悠真!」
好奇心を抑えきれないような笑顔で、少年は答えた。
「雛倉悠真!」