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行き止まりの景色

 最初の事件が起こったのは、八月のはじめだった。夜、自宅のすぐ近くで、雛倉隆真はナイフのようなもので襲われた。背後から何度も繰り返して刺されたのだという。
 一週間後、次の被害者が出た。壮年の女性だった。やはり夜道を背後から、刃物で襲われた。
 被害者は今のところその二人だ。だがこんな狭く小さな山村で、連続して事件が起これば、それは既に致命的だといえた。
「そのわりには平穏な感じだけどね」
 口の中だけでそうつぶやく千理の言葉に答えはない。隣を歩く雛倉悠真には聞こえていないし、聴こえているはずのレイは先ほどから全体的に反応がうつろだ。
 あるいは、何か思い出しかけているのかもしれない。
「ね、ね、東京ってどんなところなの? 車が空飛ぶんでしょ?」
「飛ばない飛ばない。怖いよそれ」
「そうなの? 飛行機も飛ばない?」
「飛行機は飛ぶ」
「すげーっ!」
 頬を上気させて喜ぶ悠真を見ていると、なんだか心があたたかくなっていく。だが同時に、言い知れない不穏な寒気のようなものも渦巻いている。
 雛倉――悠真が最初の被害者である雛倉隆真の弟であることは間違いないだろう。だが彼はあまりにも幼く、時間もさほど経っていない。ここで少年に根掘り葉掘り尋ねるのはさすがにはばかられる。
「この村はさあ」
 そんなことを考えていると、つまらなそうに悠真が言った。
「なんにもないんだ。なーんもない。楽しいことも嬉しいこともない。まいにちまいにち、同じことの繰り返しでさ。じじいになるまでそれがつづくんだ」
「……でも、いいところじゃない」
「いいところなのかな。おれにはわかんないけどさあ……でもつまらないんだ。本当につまらない。刺激がほしいよ」
 刺激。
 それはたとえば――殺人事件のような。
「だから、今はちょっと楽しいんだ。おねえちゃんも来てくれたし、それに、村もいつもと違うしね」
「違うって、何が?」
「みんなだよ。あんなことがあったからさあ。やっぱりいつも通りじゃないよね」
「……」
 子供は、いつだって大人が考えるより多くのモノを見ていて、そして理解している。悠真が幼いから事件のことを聞けないなんていうのは、過保護なひとりよがりなのかもしれない。
「もっといろんなことが起きないかなあ。楽しいことがさあ」
「楽しいことならいいけどね」
「楽しくなくてもいいよ。おれは変わりたいんだ」
 変えたいんだよ、と悠真はつぶやく。どこか真に迫るその言葉に、胸の奥の方がズキリと痛んだ気がした。
 これは、誰の痛みだろう。
「でもおれの力じゃなにも変えられないよなあ。やっぱり、難しいんだよ。できる人ってのはすごいよなあ」
「悠真くんにも、これからいくらだってそういうチャンスがあるんじゃないの? 将来は東京で勉強したっていいんだし」
「まあねえー」
 適当な返事をよこして、悠真はちょこちょこと走っていった。村中央の大きな通りからほんの少し逸れた細道。砂と土を踏んで進むその先に、やや急な石段と、こじんまりとした鳥居が見えた。
「ここがその神社だよ! 高台からの景色っていったら、たぶんここだと思うよ」
 石段の下で悠真が叫ぶ。
 距離が離れたタイミングで、千理はそっと自分の内側に声をかけた。レイが静かすぎる。彼も四六時中話しているわけではないが、あまりにも沈黙が長い。
「……レイ、起きてる? あんた大丈夫だよね?」
 ――(え? ああ……平気だよ。……この神社)
「はやく、おねえちゃん!」
「うん、今いくよ」
 歩を早める。鳥居が近づく。沈みこむようなレイの声が、
 ――(この神社、知ってる)
 胸に重く響いた。

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