自宅に戻り、夜になって家族と夕食を済ませ、入浴も終えた。
僕はベッドの中にいた。僕は今でももちろん園香のことを大切に思っているし、身体は大事に扱っているつもりだ。それでも男の欲望に抗えず、この身体でオナ……、身体を慰めることもある。今日は高校時代のことを思い出したせいか少し悶々としているが、でも今日はやめておこうと思った。
そんな一人遊びとは別に、僕が時々やっていることがある。寝るときに園香の精神に呼びかけることだ。正直園香の精神がまだ生きているのかなんて僕にはわからない。本当はあのまま園香の精神は亡くなってしまったかもしれない。もしかしたら僕が乗り移ったことで精神が消えてしまったかもしれない。そうでなくても、僕がいることで園香はずっと眠りについてしまっているのかもしれない。そんなことを考えるだけで気持ちが落ち込んでしまう。なにせもう何年も何回もこの呼びかけをやっているが、効果がないからだ。
僕はこの呼びかけを「魂を手繰る」作業と名付けている。まだあると信じている園香の魂を呼び起こしたい。
(園香。聞こえてるかな。あれからもう3年だよ。僕はまた君の元気な姿が見たいんだ。鏡に映る僕が動かす園香の姿じゃダメなんだ)
目を瞑り、何もない空間に手を伸ばすように、園香に聞こえるように、必死に訴えるように呼びかけた。
今日もダメかと諦めかけたそのとき、目を瞑っているはずの僕の目の前にうっすらと人影が現れ始めた。その姿はやがて僕のよく知る人物の姿へと変わっていった。
「園香……!」
これは僕の作り出した幻だろうか。あるいは夢を見ているのだろうか。僕の目の前に何も纏っていない園香の姿が現れた。今の僕の姿よりちょっとだけ若い、おそらく高校生時代の園香だ。今までなかった事態に僕の心は揺れ動いた。
「園香!」
もう一度呼びかけた僕の声は男の頃の、久しぶりに聞く元の身体のものだった。僕の身体は何も着ていない元の男の身体へと変化していた。まるでお互いの魂同士がつながりあったような。やはり夢でも見ているのだろうか。
僕の声に目の前の園香は反応し、僕に向かってにこりと笑った。
「りっくん……!」
園香のその姿を見て、僕はいてもたってもいられなくなり、園香に近付いた。
「園香……。園香、なんだよね。やっと会えた……!」
「ごめんね、りっくん。私のせいで……、私の心が弱かったせいで、りっくんに私の人生を押し付けちゃってたよね……」
「そんなこと言わないでくれ。僕は君の自殺を止めたかったんだ。それに必死だったのに、君が気を失ったところで、偶然君の身体を奪ってしまったんだ。そして君に身体を返すのが怖かった。目覚めてほしかったけれど、でも目覚めたらまた自殺するんじゃないかって。僕こそ謝らなければいけないんだ」
「ううん、りっくんは悪くないよ。私がいけないの。ごめんね……」
僕と園香は互いに謝り倒した。
「でも、これで君に身体を返せるね。そして僕はこれで本当にこの世から立ち去ることになるんだ……」
「……あのね、りっくん。実は言わないといけないことがあるの」
「? なんだい?」
「私ね、……もう死んでるの」
「……えっ」
「りっくんは死んだ後もこの世に残ってるんだよね。私のことを心配してくれて、かな。でも、私はあの首吊りでもう死んでいた。死ねばりっくんに会えると信じて。ううん、違う、りっくんがいないまま生きるのがつらくて、だね。だから今日、こうやってりっくんと会えてること、話せてること自体が奇跡なんだよ」
「……それって」
「うん、今度こそ本当にお別れだね、りっくん……。私のこと大切に想ってくれてありがとう。そして、これは私のわがままだけど、この身体で、白河園香として生き続けてもらえないかな。身勝手な話だけど、家族とか友達とか残してきた人がたくさんいるし、私の代わりに生き続けてほしいなって」
「そんなこと言わないでくれよ……! 僕はいつでも園香に身体を返すつもりでいた! 君に生きていてほしいんだよ! 君が蘇ればいいじゃないか!」
「そんなの……、私だってバカなことをしたって、今更だけど思ってるよ! でも私、もうすぐ消えそうなの。私の魂はもうこの世にはないの。だから、だから……」
園香は大粒の涙を流した。
「……もう君には会えないのか、園香。僕はまた独りになってしまうのか」
「ごめん……。勝手なお願いだよね。また押し付けるところだったよね。嫌だったらいつでも私のこと、捨てていいから。私のわがまま、聞かなくてもいいから」
「そんなこと……、そんなことはしない!」
「りっくん……」
「僕が園香の身体から抜け出したら、園香は本当に死んでしまう。僕はまた園香を失いたくないんだ……!」
「ごめんね、りっくん」
「謝らなくていい。これは僕のわがままだ」
「……ありがとう、りっくん」
お互い泣きながら、相手に呼びかけていた。
すると、園香の魂は光を放ちながら、だんだんとその姿が薄らいでいった。
「園香!」
「もう時間みたい。これで本当にさようならだね、りっくん。でも私のことを忘れないでいてくれれば、きっと私はりっくんの中で生き続けていられるはずだから」
「園香……、園香ぁ!」
「りっくん! 本当にありがとう……!」
園香の姿は霧のように消え去った。
「園香……」