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行き止まりの景色

 長い独白を終えて、千理はふうう、と吐息を漏らした。
 断絶された眼下の景色に、生ぬるいため息が降りていく。レイがどんな経緯で、どんな感情で人を殺したのか、千理にはわからない。ただ、どうしようもないほど切実で、悲しいほどにもどかしい、「つながらない」という絶望だけは知っている。
 ――(僕は……)
 静かな声だった。秘密を暴かれた怒りも、焦りも、戸惑いも、そこにはない。ただ穏やかな、波のない水面のような声音。
 いつも、千理は不思議に思っていた。レイは声を出して喋っているわけではない。千理も耳で聞いているわけではない。それなのに、確かにレイの言葉には声色があった。
 これはきっと感情の色なのだ。
 レイの言葉が伝わる時、その想いが色をつけているのだ。
 ――(僕は、この村から東京に出て……そして失敗したんだ。挫折して、逃げ出して、この村に帰ってきた)
 遠い。
 レイの言葉が遠い。そもそも彼の声は千理の内側に響いている。現実の声でないぶん、どこか遠くから響くような印象は最初からあった。しかし、これほど明確に距離を感じるのははじめてだった。
 ――(どうしようもないやつだったんだ、僕は。いろんな人になじられて、怒られて、慰めてくれる人もいたけど、僕がいつまでもダメなままだから、みんな離れていった)
 遠く、冷たく、波のない声。まるで、今から死にに行くかのようだ。
 ――(今でもわからない……そんなつもりじゃなかった、そんなんじゃなかったんだ。あいつだってそんなつもりはきっとなかった……でもその時の僕はダメだった。叱咤激励をそのまま素直に受け止められるような、そんな状態じゃなかった……)
 具体的に何があったのは、はっきりとはわからない。レイの言葉から類推するしかない。そもそも、被害者の人となりすら千理は知らないのだ。
 だが、山村に残って実家の旅館を継ぐはずだった人間と、都会に出て挫折を味わい出戻った人間と、そこになんらかの確執があったのだろうことはわかる。
 きっと友達だったのだ。普段どおりなら何の問題もないやりとりだったのかもしれない。それなのに、たった一歩、道一本を間違えただけで、こんなにも簡単に行き詰ってしまう。
 ――(センリ。未練は、ある。叶えたい願いはある。あるよ。でもどうすればいいんだ。僕はどうすればいい? わからないんだ。どうしたって、僕の願いはかなえられない。そうだろう?)
「レイ」
 ――(センリ。センリ、どうすればいいんだ。僕はどうすればいい。どこにも行けない。道がないんだ。ここは――行き止まりだ)
「レイ、聞いて」
 ――(いっそ、これから先ずっと、なにもかも「閉じて」いれば――)
「レイ!」
 ビリ、と空気が震えた気がした。胸が痛くなるほど強く叫んだのは、生まれてはじめてだった。
「あんたにわからないことは、私にもわからないよ。私のことじゃないんだからさ。でもレイ、それはだめだ。それは許さない。見ないふりしてなかったことにしようなんて、私が許さない」
 目の前には誰もいない。けれど、心の奥に確かにいる。澄咲千理は知っている。こいつがどれだけ真面目で、一生懸命で、優しくて、他人を大事に思える人間か知っている。
 前を向く。断絶の景色がある。はるか遠くに届くように、千理は声を張り上げた。
「どうしていいかわからないなら考えろ。放り出すな、諦めるな、ヤケになるな。必死になれ! どうせ一回死んでんだろうが!」
 返事はない。レイは黙っている。それこそ「閉じて」しまったのかもしれない。それでも千理は言葉をつづけた。これは彼の物語。傍に寄り添って歩いた自分だけは、その結末を見届ける義務がある。
「どうしても行き止まりから進めないっていうなら――私も、一緒に考えるから」
 ――(……センリ)
 遠くから、冷えた声が響く。揺らいで、霞んで、溢れて零れそうな声だった。センリ、センリ、と何度も名前を繰り返して、
 ――(僕を――)
 そして、

「なるほど、さすがおねえちゃん、いいこと言うなあ!」

 灼熱が、脇腹から迸った。
「はっ……?」
 いつの間にそこにいたのか、にこにこと笑顔を浮かべた少年が腰のあたりに縋りついている。まるで甘えているように見えたが、脇腹に添えられた手の中には、小さな柄のようなものが握られていた。
 ナイフだと、直感した。
「ゆう……まっ……」
「今度こそうまくやるよ、おねえちゃん、だから」
 その言葉を、千理ははっきりと聞いた。意味も理解した。にも関わらず、まるでこの世の言葉ではないように感じた。
 雛倉悠真は、出会ったばかりの少女の腹にナイフを突き立てて、笑って言った。
 ――だから、おれに殺されておくれよ。

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